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執筆者の写真Mariko Watanabe

蒜山耕藝とタルマーリー


(こんにちは。女将の麻里子です。先日初めて蒜山耕藝のカフェ「くど」に行き、感じたことを書いてみました。ちょっと長いのですが、良かったら読んでみてくださいね↓)

私はようやく“自分探し”を止めたのかもしれない。なんだかさっき、そんな風に思った。

先週、自然栽培を実践している農業法人「蒜山耕藝」のカフェ「くど」に初めて遊びに行った。大事な仲間である彼らのカフェにも関わらず、私はそのオープン以来この3年余り「くど」に足を運ぶことができなかった。

東日本大震災の後、私たちは千葉県から岡山県真庭市に移住した。そして同じく千葉県で自然栽培の農業研修中だった高谷 裕治&高谷 絵里香夫妻が真庭市に移住することになり、その後彼らは「蒜山耕藝」を立ち上げた。

私たちは同じ想いを共有していた。みな東京出身、そして突然に、遠く見知らぬ土地に移り住むことに決めた。関東にいる家族親戚や友人たちを思うと寂しくて辛くて、けれど自分の選択した道をとりあえず信じて進むほかない。そんな中で、同じ夢を語り合うことができる彼らの存在は本当に大きかった。絵里香ちゃんにはタルマーリーの店の仕事も手伝ってもらって、私には本当に大きな心の支えだった。

私たちパン屋は技術と設備さえあれば、小麦粉などの原材料を仕入れて製造販売を始められる。一方で、自然栽培を実践するということの大変さよ!米も大豆も野菜も収穫までに1年かかるし、その年の天候にも左右される。それに、新規就農者が借りたり購入したりできる農地は、良い条件であるとは限らない。更には、無肥料無農薬栽培を始めて、土ができるまでに何年かかるかわからない…。

あの頃彼らと語り合った夢。 自然栽培の作物と天然菌で、究極の食を作っていきたいね。 蒜山耕藝の小麦やライ麦で、タルマーリーのパンを作れたらいいね。 蒜山耕藝の大豆と小麦と天然菌で、醤油や味噌ができたらいいね。 そしていつか、タルマーリーの野生酵母ビール事業が実現したら、蒜山耕藝の麦を使って作ろうよ…。

2011年から8年。その間、蒜山耕藝が2014年にカフェ「くど」を立ち上げ、同じ頃にタルマーリーは鳥取県智頭町に移転することを決めた。そしてその翌年、私たちは念願の地ビール事業を立ち上げ、そして遂に昨年、蒜山耕藝の自然栽培小麦を使った「ベルジャンホワイト」を醸造できたのだ。

そのベルジャンホワイトを飲んだ裕治さんのコメント

「くど納めに妻と飲む一杯。 実はこのビールは蒜山耕藝小麦を使ってタルマーリーが天然菌とオーガニック原料だけで仕込んでくれたもの。

7年?8年越しの夢が叶いましたよ。涙。 クラフトビールではあるけど、ホップも香り系の副原料も抑えめで良い意味でパンチが効かない透明感溢れるビール。ここ中和の景気に良く似合います。

ビールだけど乳酸発酵感らしさを感じて食欲が増してくる。ビールはアルコール飲料でもあるけど生きている発酵飲料なんだって再認識。普段の食事に寄り添ってくれる。こんなお酒が欲しかったんだー。ありがとう、格さん。

こういうことを通じて農業のみならず豊かさと現代社会の光と影を見つめていきたいんですよ。」

そうそう、本当によくわかってくれているし、よくわかるよ。

そして先週、「くど」でこのベルジャンホワイトを飲み交わしながらゆっくり語り合った。その場には、蒜山の素敵な仲間たちも。陶芸家の掘仁憲さん&金工作家の坂野友紀ちゃん夫妻、チーズ屋リコッターロの竹内さん…。彼らともあの頃、たくさんの想いを共有した。そして今回、それぞれ進化している様子を見せてもらって、大きな力をもらった。

今、蒜山耕藝のお買い物サイトを見てみると、自家の農産物を使った加工品がズラリ! 米、餅、黄粉、ドライトマト、最中の皮、あられ、醤油、麦湯…、 彼らはあの頃語っていた夢を、本当にたくさん実現させてきたんだ。

ところで私はずっと「一角の人物にならなくては…」「何でも万能に出来なければ…」と気負っていたかもしれない。モノづくりの才能も、経営能力も、芸術的センスも、文学的才能も、話術も、人望も、体力もetc…。世の中には実際にこれらすべてを持っている人もいるけれど、不器用な私にはあれもこれもできるわけなくて、結局いつも「誰かさん」に劣等感を抱いたりしてきた。 こんな風に改めて振り返ってみると、なんとおマヌケ!自分で自分に可哀そうな仕打ちをしてきたんだなあ…。それにしても、40歳まで自分探ししてたなんて恥ずかしい告白、しなくてもいいのに…ね。

昨夜読んでいた、山極寿一先生と鷲田清一先生の対談本「都市と野生の思考」(集英社)に、こう書いてあった。 「知恵って、誰に頼んだらうまくやってくれるかをわかっていることでしょう。」 そう、何もかも自分でできなくても、同じ志の仲間さえいれば、私たちは思い描く世界を彼らと一緒につくっていける。蒜山耕藝が米や麦、餅、醤油をつくってくれる。堀さんは器を、友紀ちゃんはカトラリーを、竹内さんはチーズを作ってくれる。私たちはパンとビールを作る…。

年始にミシマ社新年会で、内田樹先生がこうおっしゃっていた。 「平川(克美先生)は僕の分身なの。10代の頃からね。彼の経験はそのまま僕の経験になるし、僕の経験は彼の経験になる。まったくの分身ですよ。」 凄いなあ、家族以外でそんな存在がいるなんて…とそのとき思ったけれど、でも、今回蒜山耕藝と久しぶりに会って、ああ、タルマーリーと蒜山耕藝はそれぞれが分身なのかもしれないな…と思った。そして蒜山耕藝だけじゃない、私たちの分身は、あっちにもこっちにも存在しつつあるのではないか。

2011年、それまで東で培ってきたものから一旦離れて、西でゼロからスタートして、8年。私たちはようやくここで新しい関係性を構築でき始めたのかもしれない。だからもう、自分にないモノを探す必要はない。仲間たちが、同じ志で、分身のように勝手に動いてくれているんだ。 今やっと「くど」に行けた理由が、わかったような気がした。今じゃなかったら、私はあの頃と同じように、弱音や愚痴を吐いて甘えるばかりだっただろう。私はようやく私をあきらめて、ちょっとした知恵がついてきたのかもしれない。

そしてもうひとつ、私が気負わなくて済むようになった大きな要因は、子どもたちの成長にある。 その話はまた今度…。

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