「人間は食べなくても生きていける。だとしたら、なぜあなたはあえて「食」を仕事にしているのか?」 昨年の春にタルマーリーを訪れてくださったあるお坊さんに問いかけられたこの言葉に対する答えを、ずっと考えている。
ヨーロッパ在住のこのお坊さんから、ある日突然メールが来たのだった。 「この度ケンブリッジ大学とひとつの研究チームを組みました。そのテーマは「意識と食べ物の相関関係」です。私は貴方様の活動をネットで拝見しましたが、貴方様が気づかれた酵母と周囲の環境、そして多分気づかれているであろう、貴方様と酵母の意識における交流が、実はこの研究チームのテーマに大きく関係がございます。」 とても驚いた。なぜなら、ちょうどその数か月前から、イタルが発酵や食べ物と意識の関係性について興味を抱き、量子力学の本を読み漁っていたからだ。なんだろう、このシンクロっぷりは…。
そしてこの冬休みに、『食べない人たち 「不食」が人を健康にする』という本を読んでみた。何も食べず、水さえ飲まなくても、健康に幸せに生きている人がいる。しかも世界にはそんな「不食」の人がすでに10万人いるといわれている…。 ホントかいな?!野生動物だって何かを食べながら生きているのに、動物の中で人間だけが食べないで生きる術を本来持っているってこと??? でも、不食の人は実際にいるんだな…と、私はなんとなく実感する。自分もあんまり食べない方が心身が軽いし、不食の方が健康で幸せに長生きできるのは事実かもしれないなあ。
しかしこれは、すべてを根底から覆されるような問いだ。
それまで私は、食は人間にとってなくてはならないモノだと思っていた。食べることは人間が生きていく上で絶対に必要であり、食の質を高めることで人間と地球が健全でいられる…と信じて疑わなかった。だから、良質な食を作り提供するという自らの仕事はとても大切で、なくてはならないもの…と自負していた。 一方で、現状の日本社会では、何より「食」がないがしろにされ、安さばかりを追い求める風潮があることを嘆いてきた。だから私たちは、食を芸術の域にまで高めることで社会を良くしていこう…と思って、仕事をしてきた。
でもよく考えるとそれは逆に、「食と芸術は次元の違うモノである」と、自らの中でも規定していたんだな…。 そして、昨日ふと気が付いた。 あ、そうか、食と芸術は、同じ次元のモノなのか! 例えば「音楽を聴く」ことや「絵を描く」ことと、「食べる」こととは同じ次元のことなのか?!ああ、そうか、そうなのかもしれないなあ。 そうであるとしたら、なおさら食の質を高めることは、人生を、そして私たちの生きる地球を、豊かにすることに繋がるのではないか。なぜなら、食とはただ単に栄養を取るための餌ではなく、芸術と同じく人間が培ってきた独特の文化なのだから。
だとしたら、そもそも人間は何を糧に生きているのか。文字通り“霞を食って”、つまり空気中からエネルギーを得て生きられる人がいる一方で、多くの人が食や芸術から得る心身の“糧”とは何なのか? その答えが「意識」というモノなのか…。
自分が信じているモノが絶対ではない、いつかすべてが覆されるときが来るかもしれない…となんとなく覚悟はしていたんだけど、いよいよナウシカの世界みたい。腐海の浄化によって完全に清浄になった世界では自分の身体は生きていけないようにプログラムされている…と知りながらも、それを知らない民衆と共に生きていくことを選ぶナウシカ。
私の知識と能力では、こんな難解な問いに答えは出せない。 けれど、この物凄くエキサイティングな問いを抱えながら、あえて「食」の仕事を続けていくことに、私の生きている意味があるのかもしれない…。 そして、私は今日も明日も、ずっと考え続けている。